行ってきました。
今日は楽器のことは書かないです。たまには良いですよねw
あまり元旦には行かないんですが、今回は予定の都合もあって、今日初詣行きました。午前中は非常に混雑するので、午後から出かけましたがそれでも人多かったですね。
こちらは毘盧遮那仏(大仏)の台座にあたる蓮弁のレプリカ。大仏殿内にはけっこういろいろ展示もあったりします。蓮弁は通常、なかなか見づらいところにあるんですが、こうして様々な模様が描かれています。私は以前これの本物を目の前で見て触ったことがあります。
東大寺の大仏は何度か消失したりして補修などが行われているんですが、台座部の多くは奈良時代のものが残っているということだそうですね。奈良時代に作られ、その後、平重衡による南都焼き討ち、戦国時代の三好家、松永家による大仏殿の戦い、その後江戸時代に大仏殿が再建されるまで風雨にさらされたりと、歴史のうねりの中で残ってきたものというのはこう何か、独特の存在感を持っていました。別に深く信じているというわけでもないんですが、その後の平家や三好家、松永家の末路なんかを見ると、仏罰なんてのもまんざら嘘でもないんじゃないかと思ってしまいます。
ちなみに現時点で世界最大の木造建築である東大寺大仏殿は前述のとおり江戸時代に再建されたもので、奈良時代に建てられた当時より横幅が2/3程度に縮小されていたりします。国家プロジェクトで作られたとはいえ、すごいものですね。(建立当時の伽藍や、現在の大仏殿と当時の大仏殿の比較ができる模型なども大仏殿内に展示されています。)
あまり目立ちませんが、大仏殿の近くにはこんな神社もあります。この五百立神社(いおたちじんじゃ)はとても小さな神社ですが、地味に平安時代末期から存在が確認されているということです。大仏建立時の大工を祀るもの、という説もあるそうです。
石碑に一緒に書かれている鉄道職員殉職者供養塔は、旧国鉄、およびJR西日本での殉職者のための慰霊碑です。総国分寺である東大寺はもともと、建立されたころは現在で言う国立総合大学のトップに位置するもので、多くの研究などが行われる施設でした(奈良時代、仏教は最先端の学問でした。国分寺はいわば地方の国立大みたいな感じでしょうか。)そういう流れから、東大寺には墓地が無いんですが、この慰霊碑の部分は旧国鉄が買収した土地の一部ということもあって、東大寺の広大な敷地内で唯一、死者のための施設となっていたりします。(ただし聖武天皇を祀る「天皇殿」は別途存在します。これも目立たないというか、普段は立ち入ることができませんが、毎年5月2日の聖武祭の日にのみ参拝することができます。)
そして鹿。かわいい。
古い寺院や神社は味わいがあって良いですね。東大寺みたいな超有名なところでも、けっこう知られていないことも多くて、そういうのをみつけたりするのも楽しいものです。
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